じぶん回帰体験談
平成18年10月27日
若い人に、日本酒の本当の美味しさを知ってもらいたい!
 今回取材しましたのは、後藤潤さん(40)です。後藤さんは、昭和41年、山口県お生まれのJターン組です。現在は、小城に住んでいます。お仕事は、小城の天山酒造にて、杜氏をされています。もともとは、制御機器のエンジニアから伝統的な日本酒の杜氏に転身した異色の経歴を持つ後藤さんに、Jターンを決心したきっかけについてお聞きしました。  

【県外での生活(ファーストステージ)について】
 三重県の四日市市にいて、制御機器のエンジニアの仕事をしていました。計装技術といって、一般的には自動制御機器の試運転調整やメンテナンスサービスを行っていました。ご存知のように三重県の四日市市は石油化学などのコンビナートで有名ですから、そういった大きな企業がお客さんでした。そこで、大学卒業後7年間エンジニアとして働きました。

【佐賀に転入するきっかけ】
 もともと、小さい頃からラジコンカーやプラモデルなど「自分でものをつくる」という事が好きでした。また、働き出してからビールを取っ掛かりに、洋酒から日本酒を飲みだしました。そして日本酒の多様性〜つまり全国に酒蔵があり、それぞれに味が違う〜事に魅力を感じ、自分でも魅力のある酒が造って見たいと思っていました。

 ある日実家の山口に帰省していた頃、ある就職情報誌に天山酒造の製造スタッフ募集の記事を見て、応募しました。転職に際して、結婚して子どもが妻のお腹にある時期でしたので、少し不安はありましたが、こんな機会はめったに無いと思い、応募して入社しました。

【佐賀でのネクストステージ】
 私が入社した当時の日本酒の世界は、杜氏の方が造りの時期に蔵人集団を引き連れて、酒蔵に入り、冬の約半年間かけて、日本酒をつくるのが、あたりまえの世界でした。私が初めての社員としての製造スタッフになります。杜氏の方や蔵人の仲間に入れて頂き、番屋で酒を酌み交わしながら夜12時に寝て、朝5時に起きて、仕事にかかるという生活を最初の4年間ぐらい行いました。

 もともとサラリーマンでしたから、慣れるのに苦労しました。夕方4時ぐらいには一日の仕事が終わって、4時か4時半に夕ご飯を食べ、あとは番屋で泊りがけで酒の番をする生活には、大変違和感を覚えましたが、おかげで、杜氏や蔵人にもかわいがって頂き、仕事を一から覚えることができました。

 以前は杜氏の方が蔵人集団を集めて、酒蔵に入るのが習慣でしたが、高齢化が進み、杜氏の後継者不足もあって、社員もしくは蔵元自身が酒造りの主体として働くようになってきました。私の後に製造の社員も増え、平成15年からは私が、酒造りの責任者として、バトンタッチを受けました。最初は心配でしたが、徐々に自分の目指す酒造りができるようになりました。

 今こだわっていることがあります。それは私自身日本酒の素晴らしさに20代の後半に初めて出会った訳です。それまで私は日本酒自体が苦手でした。よく忘年会なんかで強引に飲まされた苦い経験もあって、変に甘い印象がありました。でも本当に美味しい日本酒を今の若い人にも味わってもらいたいと思って酒造りをしています。

【最後に、佐賀に帰ろうと思っている人にひとこと】
 佐賀県というのは風土豊かな土地だと思います。山は背振山系の天山を抱え、佐賀平野で豊かな酒の原料となる米や焼酎の麦も取れますし、有明海や玄海などの、豊かな海の幸も味わえます。私どものような地酒メーカーも、古くからの風土文化に支えられているわけですし、佐賀県はそういった風土文化が調和した素晴らしい県だと思います。

 私と妻が佐賀県に来たときは「佐賀のこと」や「佐賀弁」がまったくわからず苦労しました。でも会社の人や地域の人がとても親切に迎え入れてくれたので、今の自分たちがあるのだと思います。そんな人情味あふれる佐賀県の人たちですので、現在迷っている人たちは思い切って、佐賀に来てみてはいかがでしょう。私の子どもたちも、すっかり佐賀に染まって、毎日元気に自然を満喫しています。

そんな、後藤潤さんの造る天山酒造のお酒は、
天山酒造株式会社
〒845-0003 佐賀県小城市小城町岩藏1520
電話:0952-73-3141

ホームページは、http://www.tenzan.co.jp/
です。
杜氏、後藤潤さん
自ら仕込んだ日本酒を前に
小城の天山酒造

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